19歳の秋

19歳の秋


発病から1年が経った。苦しみながらも1年を生きている。そろそろ就職を考えなければならない時期にあったが病気の自分に何か出来るだろう。

専門は電気工学。電気主任技術者を目指していた。

就職部に相談に行くもの。電力会社は専門学校生は受け入れないことがわかった。じゃ何が出来る。

パッと目に入ったのはビルメンテナンス会社だ。それも筆記試験がない。面接だけの募集要項。

迎えた面接試験日

面接の最中に発作が起きた。やばいこのままでは呼吸困難になる。応接室から逃げ出したい。でも面接は続く。逃げ場のドアにしか目がいかない。とにかく収まってほしい。

本で読んだことがあった。とっさの時の対処⇨指の先を強くつまむこと。少しは効果があったのか冷や汗をかきながらも面接は終わった。数人の役員面接が終わった。1時間ほどの長丁場。帰りの電車で一気に疲労感が爆裂。

就職先は正直どこでも良かった。内定通知が送られて、4月から新社会となる。新入社員は3人。今でさえビルメンテナンス業務は認知されてはいるが、自分が入社した時代は周りから馬鹿にされていた。もっと良い会社にも入れたのに。

学校の成績は悪くなかった。A評価から始まり自分はB評価。メーカー系にも十分に喰いこめた。担任からも本当にいいのか?念を押されたが企業のネームバリューには全く興味がない。

その後、30年間、我が社にお世話になることになるが、会社の変革、歴史を知っているのはごく僅か。

会社は見事に成長した。ここまで変革を遂げるとは思ってもいなかった。発展力は凄まじく今や入社するのも難関な会社になっている。今や花形の会社に改変され毎年学卒が30人ほど入社する


20歳の春。病気を背負っての社会人スタート。苦しみと向かいながらの出発であった。

最初の配属場所は京橋。高円寺から総武線での各駅停車での通勤。電車が恐ろしくどんどん人が乗り込んでくる。絶対に座っての通勤を欠かさない。

会社に着いたらシャツはビッショリ。発作を我慢して冷や汗で体はベタベタになっている。すぐさま作業着に着替える。地下3階の変電所。変電、配電を中心に毎日の業務。宿直もあり365日の勤務シフト。お盆も正月も関係ない。

もし一人のときに発作が起きたらどうしよう。心配はあったが自分が目指していた国家資格に挑戦を決意する。暇な時間を見つけは参考書に目を通す。最高峰の国家資格を目指そう。心に誓った。

通勤電車は勉強する場となり、発作を気にしながら勉強することで発作を遠ざける、そんな裏技を使うことも出来ている。通勤は勉強の空間、自分にいい聞かせて時間の有効利用を図る



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