パニック障害大発作 【🚑死を覚悟する・本当の闘いへ🏩】 改善ストーリーの始まり

~パニック障害大発作~死を覚悟する





2016年1月6日、東京駅で倒れる。

昼ごはんを終え東京駅の改札に入った。昼ごはんのとき違和感を感じ食欲もなく店を出た。東京駅の改札までは100m程の距離。部下と一緒だった。

改札を抜け中央線へと向かう。途中どんどん頭が真白くなっていく。33年前に降臨したあの苦しさと一緒だ。

このまま歩いていたら倒れる。部下に状態を伝え床に座り込んだ。人生で初めて「死」を感じた。

不思議なもので人生が走馬灯のように駆け足で頭のなかを走る。倒れるその瞬間が何回も襲ってきたが、頑張って東京駅の医務室まで歩いた。

医務室は常駐している職員がいる。血圧を計ってみましょう。220まで上昇している。心筋梗塞の疑いもあり隣の救急隊がすぐに駆けつけた。瞳孔を見られ指には脈拍計のような機材。ベットに横になったが心臓の鼓動は増すばかり。

もし33年前のように頭にパニックが抜けたら自分は死去すると実感した。死因は心筋梗塞になるのだろうか。






【初めての救急車】
救急隊の処置が終わり直ちに大学病院へ。自分がパニック障害も持ち主であることを救急隊に伝え救急車は病院へ急ぐ。病院での処置、血液採取、心電図など心筋梗塞疑い検査が続いた。

病院到着後も心臓の脈は速い。早くなったり治ったりを2時間ぐらい繰り返す。心筋梗塞等の疑いはない。結果的に「パニック障害」の大発作を起こしたことになる。4時間ぐらいは病院に居ただろうか。一応の処置が終わり現場に戻るが電車には怖くて乗れない。

その日を境に電車に乗ることが出来なくなった。33年前のフラッシュバック。

タクシーで帰社した。以後も電車での通勤が出来なくなり、電車の区間を歩く生活が半年ほど続く。病状はだんだんひどくなる。

苦しさから酒を浴びる程飲む。酒で病気が誘発され激苦に陥る。会社には何とか行けているが業務中に苦しくて倒れてしまいそうだ。救急車を呼んでほしい。そんな心の声を常に発している。いよいよ人生の終わりを覚悟した。

苦しさを和らげる方法はないのか診療内科の受診を試みることに。

職場の近くの心療内科。初診は予約であると言われたが苦しさでどうしても今日受診をさせてほしい。懇願の結果予約が取れた。先生と30分程度の話。

まずはカウンセリング薬の処方で様子を見ることにした。薬が効き始めるのは1週間程度かかると言われたがその日のうちに楽になった。以後、2週間に一度の受診が始まる。

50歳まじかにして「パニック障害再降臨」。人生をまたもや悲観する。

再発の原因は酒とストレス。断酒を決意。今回ばかりは自身の努力では絶対に解決出来ない。それほどまでに心が壊れている。対症療法ではなく専門療法に掛けてみよう。この先生に自分の人生を預けてみようと、病気を治すことだけにすべてを集中した。

過去の記憶がふと蘇った。数年前にお袋は心を病んだ。おそらくパニック障害だと思っている。

重たい症状で近くの総合病院に入院。診療内科系の病棟だった記憶がある。退院後も二週間に一度、診療内科を受診していた。






【両親の同じ病気に】
田舎に帰り焼肉屋に家族で行ったことがある。座った途端に帰りたいと泣き出す。狭小なスペースに恐怖心が襲ってきたに違いない。焼肉屋に来たのに焼肉を食べずに帰った記憶がある。自分も過去に嫌なほど経験したことがある恐怖感である。

親父も月に二回ほど診療内科に通っている。統合失調症だ。頭がくらくらする病気、軽いうつ状態である。親が心病のキャリアであれば自分のパニック障害は起こるべくして起こったのだろうと後々で合点がいった。

その後お袋は元気になった。親父は相変わらず診療内科に通院している。

『50にして天命を知る』 論語の一節。悟りの境地。周りは奔放の生き方を否定し続ける。でもこれしか自分が生きる道はないのだ。何を言われてもいい。でも生き方を人生観を否定するのはやめてくれ。腹の底から叫んでいた。異端児でも生きる希望がほしい。

異端児と言えば小泉純一郎。好きな政治家は小泉と田中角栄。二人とも個性的な政治家だ。

小泉純一郎を好きになった出来事はハンセン病の責任を国が認めたとき。政府声明を出してハンセン病気患者と握手した場面だ。英断だった。郵政解散の会見の目は本物。

角栄の人身掌握も決して真似出来るものではない。でも真似事ではあるにせよ自分は部下に対しこの想いでやってきた。何か文句がある奴は言ってこいとの強い信念でいた。

「一陽来復」。悪いことの後には良いことが起きるとのことわざだ。

早稲田にある穴八幡宮がその由来の神社。病気を忘れられる神に頼るしかな切実な思いが続く。






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