パニック障害 完治【🏆ボクシング界の名セコンド 🏆 エディ・タウンゼント✴️】

【エディ・タウンゼントの言葉】



ボクシング界の名伯楽と聞けばエディ・タウンジェントの名前が浮かぶ。

最後のセコンドは今や大晦日の夜の世界戦の顔となった井岡一翔(先日引退を表明)の叔父井岡弘樹である。

井岡との出会いは14歳のとき。浪花のロッキー赤井秀和に憧れてボクシングジムに入門。その後エディ・タウンジェントの指導を受けることになる。

結果的に井岡は世界チャンプに登り詰めるのだがエディは大腸がんを患い73歳でこの世を去ってしまった。

今回エディ・タウンゼントの話題に触れたのは彼が残した言葉に感銘を受けたからだ。

自分も病気を背負っての人生観で人の出会いと別れは特に敏感になったときがあった。いつも死を意識して生きた。

「別れ」という刹那に恐怖心を持っていたのだと思う。エディの名言「試合に負けたとき本当の友達が分かります」。

チャンピョンは黙っても人が寄ってくる。何かと関係性を持とうとする。それは井岡本人にではない、チャンピョンという称号に集り寄ってくるものだと。チャンピョンベルトが無くなった瞬間に掌を返したように人が去っていく。

試合に負けたとき本当の友達が分かります


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【エディの言葉とは別の視点で】

自分の部下にもこの手の人間はいる。内容はエディのケースとは若干ずれるが自分の立場が不安になると何年かぶりに連絡がある。話を聞いてみればずばりその内容だ。

自分はチャンピョンベルトを巻いている人間ではない。まして巻けるほどの実力もないが擦り寄ってくる。

自分の立場を利用する術を心得ているのだ。次はどの部署に異動するのかどの立ち位置になるのか、自分を通じて情報を得ようとしてくる。自分も慕って擦り寄ってくれることはとても光栄なこと。ただ自分も出汁に使う人間も中にいるという事だ。

これが人間社会。もっと酷いケース。自分は非常識を常識へと変えていくのが好き。今までの慣例や事例がないことを成功させることに快楽を感じるときがある。非常識なことを始める。そうすると今まで取り巻いていた人間はスッーと引き始める。見事に消え去っていく。

数か月後、非常識が常識化され例えば上層部から改革に対してのお墨付き「よくやった」の言葉。その瞬間にいかにも自分もこの案件の噛んでいたかのように擦り寄ってくる輩。エディとは逆のパターンであるがこれが人間の性であり人間模様。

これが見えた人間(目的が自己保身)とは一旦は話を聞くが距離を置くことにしている。逆に辛い時に相談してきてくれた連中。彼らとの距離感は近い。エディ・タウンジェントの言葉にあった「仲間」とは辛いとき如何に一緒に戦えるかであり同志だ。

病気が教えてくれたもの弱い人は弱い立場に立ったとき強いものに縋りたがる。それは決して正しい判断ではない。

正しい判断とは弱い立場に陥ったとき、自己に不利益が掛かろうとしたとき成功へのチャンスと捉える転換力。不遇を撥ね返し次のチャンスまでの力を溜めておく将来への力量貯金とすること。

病気と闘っていた日々。自力で立ち向かう。その精神が解決策を呼ぶのだ。

「試合に負けたとき本当の友達が分かります」。

自分には本当の仲間しかいない。




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