パニック障害 完治 川端康成と田中角栄 【偶然と必然】

 川端康成と田中角栄


世の中偶然がもたらす出来事が数多くある。果たしてそれが偶然なのか。いや、世の中には偶然というものは存在しないと思っている。すべてが必然のうえに成り立っているのだと。

“ 偶然はないすべて必然である ” 川端康成。

偶然ばったり人に会う。偶然交通事故に合う。偶然の連呼に翻弄され必然の信憑性を誰も確たるものにしない。

昨年の8月、10月に二度の交通事故を起こした。最初は偶然な出来事と切り替えたが二回目は必然的な事故であったと“必然性”の信憑性を立証した。

自分が生きているのも必然的。偶然ではない。パニック障害を背負ったのも偶然ではない必然的だ。血統での病気の発症。これも必然的な理屈になるだろう。

固い話はここまで。偶然の「遇」は偶数の「遇」でもある。偶数は割り切れその逆として奇数は割り切れない。

であれば必然的は「奇数」であるのかも知れない。割り切れない物事は必然的ということになる。割り切れない出来事。世の中の大半がここを占めるのでないか。


田中角栄の語録にこんな言葉がある。

世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。

その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある。


その視点からみれば割り切れないことはすべて必然的な物事。

『こんなはずじゃなかった。こんな人事はいい加減だ。何であいつが自分より上位にいるのだ。またまた何故あいつばかりに良いことが起きるのだ。自分はついていな』。割り切れない思いは根深い。でも必然的な論理となる。FA198D32-F25D-42A0-8A51-BE450ADA7F1D.jpeg


【偶然と必然の関係は表裏一体】

やることのすべてが裏目に出る。「表裏」このケース裏が偶然、表が必然なの? ややこし話になるが “ 表裏一体 ” であればどちらも偶然、必然となる。歯ブラシの宣伝で歯の裏の裏まで磨きましょう。でも裏の裏は表。

このブログで何が言いたかったのだろう。あまり意味のない内容だったかもしれなが、世の中は必然性が表で偶然性はないと言う巡り合わせを伝えたかったのだ。

親子の関係。上司の出会い。仲間との出会い。恋人との出会い。すべてが必然であること。割り切れない関係もあるだろう。

但し出逢うべきして出会っていることは間違いない。人の出会いを大切にすること。そして未来の出会いを楽しみすること。偶然と必然の重要さはここ。

病気が教えてくれたこと。

自分が背負っている運命はすべて必然的な出来事で否定せず受け止めたい。

背負った運命としっかり向かい合い味わいある深みの人生としたものだ。




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